クォークとグルーオンの世界

クォーク・グルーオン・プラズマ

  • クォーク・グルーオン・プラズマ

私たちの日常下において、電子は原子核のまわりに電気的な力によって束縛されていて、原子を形成しています。原子核の電荷数と電子の数は等しく、原子は全体として中性の状態にあります。通常の原子核は、陽子と中性子(総称して核子と呼ぶ)から成り立ち、これらの核子は3つのクォークから構成されています(クォークには、u、d、sクォークなど6種類存在すると考えられている)。クォークから構成される粒子(=ハドロン)には、核子などのように3個のクォークからなる粒子のほかに、クォーク・反クォーク対から成る中間子があります。これらのクォークは、それぞれの重粒子あるいは中間子に強く束縛されており、けっして単独で飛び出すことが出来ないという不思議な性質を持っています。

現在の素粒子・原子核物理学の標準模型を構成する理論の一つである「量子色力学(QCD)」によると、 強い相互作用をおこなう粒子(ハドロン)の集まりは、高温(150-200 MeV)高密度(>1 GeV/fm^3)の極限条件下ではクォークとグルーオンが主体となる新しい物質相「クォーク・グルーオン・プラズマ」(QGP)へ相転移することが予想されています。このような高温度•高密度状況下では、核子間距離が非常に小さくなり、核子の境界が重なり始め、核子内に閉じ込められているクォークは自由に動きだすと考えられます。クォークが核子や中間子への閉じ込めから開放されて、クォークとクォーク間相互作用を伝えるグルーオンが自由に動き回れるクォーク・グルーオン・プラズマが生成されることになります。

  • 初期宇宙

ビックバン宇宙論によると、現在の我々の宇宙の年齢は 137 億年と言われています。 現在の宇宙論では、t = 10^-37 秒に宇宙のインフレーション 急激膨張が生じ、その後、素粒子であるクォーク対やグルーオン、光子、電子などのレプトン が生成されたと考えられています。t=10^-6 - 10^-5 秒 (数μ秒から数10μ秒; 1μ秒は 10^-6 秒)では、これらの素粒子はばらばら、つまりクォークとグルーオンがプラズマ状態であったと考えられています。クォーク・グルーオンプラズマとは、 ビックバンから数10マイクロ秒後の宇宙初期に存在したと考えられる、「素粒子の火の玉」だと 言えます。

またクォーク・グルーオン・プラズマは、ハドロンの質量獲得機構を理解する上でも非常に重要です。我々の質量の大部分は原子核を構成している核子で与えられます。核子を構成するクォークの質量はせいぜい20×10^{-30}kgと見積もられていて、クォーク3個を集めても陽子の質量1700×10^{-30}kgに遠く及びません。我々の質量の大部分は、QCDの強い相互作用により引き起こされる「カイラル対称性の自発的破れ」(2008年ノーベル物理学賞)によって生成されていますが、クォーク・グルーオン・プラズマは、カイラル対称性も回復された場として、質量獲得機構に重要な知見を齎します。

  • QCD相構造

クォークは通常状態では単独で観測することはできません。クォークはハドロンの中に閉じ込められており、「カイラル対称性の自発的破れ」が起こっています。しかし、ビッグバン直後の宇宙初期の高温度状態では、クォーク・グルーオン・プラズマが実現されており、カイラル対称性が回復していたと考えられています。 また、中性子星等のコンパクト天体内部の高密度状態ではハドロンとは異なるクォーク物質が形成され、クォーク2個がペアを組む「カラー超伝導相」が実現されている可能性があります。下図は、横軸を密度、縦軸を温度としたときの、 原子核物質の相図を表しています。水が温度や圧力の変化によって、固体、液体、気体など様々な形態(相)を取る様に、原子核や 陽子、中性子などの物質相も、高温度・高密度領域ではクォーク・グルーオン・プラズマが、低温・超高密度領域ではカラー超伝導相などが実現されていると考えられています。 このようにクォーク・グルーオン・プラズマを理解することは、QCDの物質相を解明する上でも非常に重要となります。

以上のように、クォーク・グルーオン・プラズマという未知の物質相は、我々が生きているこの宇宙がビックバン直後に経験したものであり、宇宙の進化や星の構造、極限物質の豊かな性質を解明する上で非常に重要かつ面白い研究対象です。

高エネルギー重イオン衝突実験

クォーク・グルーオン・プラズマを実験室で生成し、その特性を調べる手法として高エネルギー重イオン衝突があります。重イオン、すなわち鉛などの重い原子核同士を高エネルギーで衝突させ、 衝突直後に高温・高密度物質を生成します。 衝突させるのは 原子核同士ですので、十分大きな体積でかつ、高エネルギーでの衝突あれば、相転移温度を十分 超える高温物質の生成が期待できます。 クォーク・グルーオン・プラズマを生成する試みが、1980年代より本格的に始まりました。 1980年代から、米国ローレンスバークレー研究所のBEVALAC加速器や、米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)のAGS加速器や欧州共同原子核研究機構(CERN)のSPS加速器を用いた実験が行われて来ました。BNL-AGSでは核子あたり10GeVの金の原子核ビーム、CERN-SPSでは核子あたり200GeVの硫黄ビーム、核子あたり160GeVの鉛ビームを用いた固定標的実験が行われてきました。 2000年より、世界初の衝突型ハドロン加速器BNL-RHIC加速器が、2009年からは欧州CERN-LHC加速器が稼働を開始し、これまでの10~100倍も大きな衝突エネルギーでの検証が可能になりました。 日本の多くの研究機関が、BNL-RHIC加速器を用いた国際共同PHENIX実験やCERN-LHC加速器を用いた国際共同ALICE実験に参加し、最先端の実験研究を展開し、

  • QCD物質が持つ多様な相構造の解明
  • 極限状況下におけるQCD多体系の性質解明、クォーク物質相の持つ熱力学的な性質や物性の理解
  • 非摂動的な領域での量子色力学の精密検証
  • クォークの質量獲得の解明
  • ハドロンへの閉じ込め機構の理解
  • ビッグバン後の宇宙初期に見られたQCD相転移の理解 の解明を進めています。

これまでの成果

RHICにおける核子あたり100GeVの金原子核同士衝突やLHCにおける核子あたり1.38TeVの鉛原子核同士衝突では、生成粒子の数密度や横方向生成エネルギー密度から推定された衝突到達エネルギー密度として、約10-30GeV/fm3が得られました。このエネルギー密度は理論的に予測されているクォーク・グルオン・プラズマの臨界温度を優に超えており、QGP状態の生成を十分に期待出来る値です。 その他、クォーク・グルオン・プラズマの生成を示唆するような、様々な興味深い実験結果のうち幾つかを以下に纏めます。 (詳細は、例えば、 核物理の将来レポート「高エネルギー重イオン衝突による物理」を参照のこと)

  • ジェットクエンチングの発見
  • 方位角異方性とフローの発見
  • 熱的光子の観測

これ以外にも

  • 重クォークのエネルギー損失と集団運動
  • 高次フローの測定やイベント毎のフロー測定
  • RHICにおけるJ/ψの収量抑制、LHCでの収量増大
  • Υの収量抑制
  • (重)陽子+原子核におけるフロー生成の兆候
  • 低運動量と低質量領域電子対の異常収量

といった諸現象を観測しています。

これらを様々な成果を受けて、「QGPの発見」は確固たるものになったと言って良いでしょう。今後は「QGPの発見」から「QGPの物性研究」へ展開することが重要です。発見から物性の本格研究へは、これまでに十分な精度で測ることの出来なかった測定や新しい測定を高精度で進めることが不可欠です。この為に、RHIC-PHENIX, LHC-ALICE実験は、2018年頃を目処に、大規模な新規測定器システムの建設を計画しております。 日本グループは、高エネルギー重イオン物理の将来計画として、以下の2つのプロジェクトを推進します。

  • RHIC-PHENIXからRHIC-sPHENIX実験へのアップグレード
    • RHIC-sPHENIX計画は、これまでに高精度で測ることの出来なかったジェット、重クォークジェット、ジェット対、光子-ジェット対測定を強化する計画です。
    • 日本Grは、シリコン飛跡検出器と前置電磁シャワー検出器の建設を計画しています。
  • LHC加速器の高輝度性を生かしたLHC-ALICE実験大規模アップグレード
    • 2018年以降のLHCの高輝度性を生かすことで、ジェット、重クォーク測定、光子やレプトン対の高精度測定への道が拓けます。
    • 高輝度性を生かすべく、既存TPCの増幅部の高度化(ゲーティンググリッドなし、GEMなどのMPGDを増幅部に使う)、電磁カロリメータ建設と読み出し高度化を推進します。また、解析の効率化に向けた国内グリッド計算拠点の拡充化を行います。
    • 日本Grは、物理解析と並行して、GEM-TPC高度化計画、カロリメータ建設とトリガー高度化を進めています。

また、高密度におけるQCD物性研究、多様な相構造の解明に向けて、J-PARCにおける重イオン加速を検討しています。

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